2017年6月26日月曜日

サンスクリット文法年末集中講座 『パーニニ・スートラの全体像』

パーニニ文法の永久保存版的な
もの凄く内容の濃い5日間クラスを計画してみました。

サンスクリット文法年末集中講座
『パーニニ・スートラの全体像』

日時:2017年12月26日㈫~30日㈯

講座内容:
1日目
・ Maheshvarasutra とその使い方を学ぶ。
・ 基本サンディ・ルールをスートラで説明できるようになる。
2日目
・ Ashtaadhyaayii(パーニニ・スートラ)の全体像
・ パンチャ・ヴリッティ概説
・ इत् letter の役割
3日目
・ ①派生ダートゥをパーニニ・スートラで理解
・ ②कृदन्त をパーニニ・スートラで理解
4日目
・ ③तद्धितान्त をパーニニ・スートラで理解
・ ④समास をパーニニ・スートラで理解
5日目
・ ④समास の言い換え特訓
・ ⑤एकशेष をパーニニ・スートラで理解

毎日のスケジュール予定:
9:30-10:30 クラス⓵ 
(初日のみ10:00スタート、9:30より受付開始)
10:45―11:45 クラス⓶
11:45-12:15 チャンティング
12:30-15:00 昼食、休憩
15:00-16:00 クラス⓷
16:15-17:15 クラス④
詳細・予約はこちらをご覧ください。 
https://coubic.com/chienowa/329228

参加者のレベルは、Enjoyable Sanskrit Grammar 12 を終えたくらいを対象としています。
まだ半年先なので、今から準備されたい方はご相談ください。

尚、私は基本的に、ヴェーダーンタを勉強する人の助けとして、クラスで教えていることもご理解ください。

2017年6月23日金曜日

質問: 「意識」と「純粋な意識」の違いとは何ですか?


「意識」に、「純粋な」という形容詞を付けて、
「純粋な意識」として使い分けているのだから、
これらには違いがあるばずだ、ということですね。

ヴェーダーンタの勉強を続けている人に向けて、
このふたつの言葉が使い分けられている所以を説明しますね。

普通、「意識」という言葉は、
~を意識する、意識がある、~という意識がない、
といったように、日常的に使われる言葉で、
「意識」という一般的な言葉の使われ方にも、様々な違いがありますが、
あらゆる使い方に共通しているのは、
マインドの状態、ということでです。
対象物を見ているマインドの状態、自分の認識内で機能しているマインドの状態、
ということですね。
状態というものは変わり続けるものです。

一方、「純粋な意識」と言う場合は、
状態ではなく、あらゆる状態を支えている、変わらない土台である、
自分自身である、意識です。
マインドの状態を意識的にしているもの、その意識という存在そのものです。
それが、自分・私、という時の、本質的な意味です。

「純粋な」という形容詞をつけているのは、
マインドのあらゆる変化に影響されず、触れられていない、ということです。

幼少の頃から、青年になって、歳を重ねていきながら、
身体も変わり、心の状態も変わり、それを通して様々な経験を重ねますが、
それら全ての経験を通して、変わらずに居る、そう、そのあなたのことです。
それは、純粋に、意識という存在ですね。


怒りや怖れ、憎悪や孤独感といったマインドの中にある感情が、感情として、認識できるのは、
マインドという舞台で繰り広げられるドラマを照らし出している、意識の光りがあるからです。
光りは何を照らし出していても、その対象物から影響されたり汚されたりはしません。

人は皆、感情=自分という自己認識をしていますが、
本質的な自分は、純粋な意識の光りであり、マインドで起きている感情などの出来事によって、染められたり、揺さぶられたりするものではありません。

この回答がお役に立てれば幸いです。
ヴェーダーンタを伝統を知る正しい先生の下で、聴き続けてください。

質問: ヴェーダーンタの勉強と他の学問の勉強とは何が違うの?

スワミジのパードゥカー
 サンスクリット一日一語 
78.サンヴァーダ(संवादः [saṃvādaḥ]) - 対話、ダイアローグ 
の回で説明されているシュローカについての質問

आचार्यात्पादमादत्ते पादं शिष्यः स्वमेधया । पादं सब्रह्मचारिभ्यः पादं कालक्रमेण तु ॥
ācāryātpādamādatte pādaṃ śiṣyaḥ svamedhayā |
pādaṃ sabrahmacāribhyaḥ pādaṃ kālakrameṇa tu ||

生徒は、先生から4分の1を得て、自分の記憶力や努力によって4分の1、
生徒同士のディスカッションによって4分の1、
そして最後の4分の1を、時間の経過によって得るのです。


ちなみに、ヴェーダーンタに関しては、これは完全に通用するものではありません。


とありますが、何故でしょうか?

このシュローカの意味は、学びに必要な要素には、
1.先生、2.自分の努力、3.生徒との協力、4.時間の経過
という四つの要素が必要だよ、という意味ですが、
何故、それらの学びの要素の必要性が、
ヴェーダーンタの勉強には完全に通用しないのでしょうか?

≪質問への答え≫

ヴェーダーンタの文献は、
イーシュワラとは何かを、自分の本質として知るための、
独立した知る手段(プラマーナ)なので、
例えるなら、目というプラマーナで何かの色や形を知る時、
「目で4分の1が理解できて、自分の努力と、生徒同士の協力と、時間の経過も、4分の1ずつ」とは言えないのと同じです。
色や形を見るためには、視覚という知る手段だけが必要で、
視覚を通して得られた色や形、それがそのまま知識となります。

ヴェーダーンタも同じで、
そのプラマーナを使う人のアディカーリットヴァが十分であれば、
ヴェーダーンタの教える知識を得る為に必要なのは、
ヴェーダーンタというプラマーナのみです。

ヴェーダーンタには文献という側面もあるので、
文献を勉強している以上は、それなりの努力や時間などの様々な要素も必要となります。
そこも忘れないでくださいね~。

2017年6月18日日曜日

プージャリさんの手作りチッキー

 今晩のプラサーダムは、
まだ若いプージャリさんが作ったチッキー。
チッキーとはピーナッツ等をジャガリーという無精製砂糖で固めたもの。
プラサーダムとは、神殿に捧げられたお供物のお下がり。
ダクシナームールティの恩恵をふんだんに浴びています。
市販のものとは全然違って、
ジャガリーがまだやわらかく、
カルダモンやジンジャーなどの、薬効スパイスがほんのり香り、
 ストゥーラ&スークシュマの両方のシャリーラが喜んでおります。
ああ、幸せ。。。

ハリウッドでもホワイト・ハウスでもモナコでも、
こんな贅沢を味わうことは、絶対に不可能です。
私に生まれて良かった。。。

私の人生で出会った人全て、起こった出来事すべてに、
今こうやって、こんな幸せを、ちやんと認識できるように導いてもらえたからです。
 

水や空気は限りなく使える資源』という間違った前提に、旧来の資本経済論は基づいている

「経済成長という幻想」に人類は滅ぼされる? ハーバービジネス・オンライン の記事に、以下のようなコメントを残しました。

何年か前、プージャスワミジが、
アメリカから訪問してきた経済学研究者に、
「『水や空気は限りなく使える資源』という間違った前提に旧来の資本経済論は基づいている、という点をちゃんと指摘するように」
といったようなアドヴァイスをされていたのを覚えています。

その時近くにいた長年スワミジの下で学んでおられる生徒は、
いつもスワミジは経済学者にはそのようなことをアドヴァイスされている、と教えてくれました。


私が物心ついたときから、子供の目にさえも、
人間は地球の資源を食い尽くして、自分達の首を絞めている、
ということは明らかだったのに、
もうこの何十年、21世紀になっても、あいも変わらず、
政治家と政治家にくっついている開発者達は、
「幸福とはすなわち、経済発展。それは自然を破壊してセメントを流し込むこと!」
という、混乱し切った価値観で世界を動かし続けようとしています。

そういう人達には早く化石になってもらいたいところだけど、
現在の大学や社会のシステムでは、
「幸福=経済発展」の上にある自然な公式を、数値化しづらいゆえにか、見い出せずに、壁を破れないでいるのでしょうね。
「経済発展=自然を搾取」も同様です。

購買行動や投資によって「持続可能な発展」をする企業に伸びてもらい、
「幸福=経済発展=自然を破壊」の公式に縛られている旧世代の人々に、一線から身をどんどん引いていただければ、
人類と全ての生き物の幸福は増大すると思います。

2017年6月16日金曜日

ヴィーガン(完全菜食主義)のサウジの王子が「自分の生きている間に、畜産工場を過去の歴史のものとする」と宣言

http://www.onegreenplanet.org/environment/vegan-saudi-prince-wants-to-end-factory-farming/

ヴィーガン(完全菜食主義)のサウジの王子が、
「自分の生きている間に、畜産工場を過去の歴史のものとする」
と宣言しておられるそうです。

それぐらいの意気込みがあると頼もしいですね。
ベジはエコとピースをもたらすので、頑張ってください!

私はシナイ半島の辺りが好きで、中東には2度ほど行ったことがありますが、
中東料理のベジ・シフトは意外と容易だと思います。

日本みたいに何にでも出汁が入っているのではなく、
色とりどりの野菜(味が濃くておいしい)、豆料理、パン、肉、
とはっきり分かれているので、肉の代わりに豆を増やせば、
という簡単なスイッチでベジ・シフトが可能です。

バッフェとかでも、ベジタリアンXディナール、プラス肉を食べたい人はXディナールって感じでした。

2017年6月13日火曜日

Le Petit Prince (星の王子さま)の、サンスクリット語版!

 
कनीयान् [kanīyān] 小さい(अल्प)又は、若い(युवन्)の何故か比較級、कनीयस्。
राज- राजन् [rājan] は王様ですね。
कुमारः [kumāraḥ] は、息子、幼子という意味です。



अत्र त्वं कृपया... मम कृते एकस्य मेषस्य चित्रम् अङ्कस्व।
atra tvaṃ kṛpayā... mama kṛte ekasya meṣasya citram aṅkasva|
お願いだから、僕の為に、一匹の羊の絵を描いてくれる?

 サンスクリット語会話をインド全国で普及させている、「サンスクリタ・バーラティー」の版。




「今だけ、カネだけ、自分だけ」を徹底して実践している張本人は、有権者と消費者ですね。


「今だけ、カネだけ、自分だけ」を、

徹底して実践している張本人は、

有権者と消費者に他なりませんね。


今ここにいる自分には、

選択の自由が与えられているのですから、


それをありがたく受け止め、


正しく使いこなすのが、「ダルマ」な人間のあり方です。



自分の頭できちんと考えて選択しようとせずに、

「今だけ、カネだけ、自分だけ」と、楽な方に流れておいて、

「便利だから、安いから、情報操作されてるから、仕方ない」

と開き直ってる人々が大多数だから、

それ相応の政治家と企業が上に立つのです。

2017年6月1日木曜日

神の数式 「第一回この世は何からできているのか」 のメモ

NHKスペシャル神の数式 「第一回この世は何からできているのか」
という1時間番組を見だしたら、面白くて最後まで見てしまいました。

超複雑な学問をたったの一時間にまとめたプログラムを、
一回だけ見た素人がとったメモですからね~。

こういうのを見るといつも、ヴェーダーンタを勉強していて良かったと思います。



宇宙を構成している原子を構成している基本素粒子
V = ニュートリノ 原子核から飛び出す
U = Up クオーク 原子核を構成している
D = Down クオーク 原子核を構成している
E = 電子 原子核の周りを軌道に沿って動いている

この基本素粒子がどのような力で原子となっているのかを、数式によって証明されるべき課題は以下の通り:

☆1 電子は地球のようにNS極という磁力を持って自転しながら軌道を回っているが、その動きを数式で表したい。

☆2 原子をまとめている力
.電子気力 = 原子核の周りの軌道に沿って電子が回る力
.強い核力 = UとDのクオークを核としてまとめている力
.弱い核力 = ニュートリノが飛び出す力

1928年 Dirac方程式により☆1が説明される。
美しさ=対称性を取り入れることによって方程式に辿り着いた。取り入れられた対称性は3種類:
1)回転対称性
2)並進対称性
3)Lorents対称性(時間=空間)

1930年 Oppenheimerが、4つ目の対称性を取り入れることにより、☆2①を解く方程式に辿り着いた。
4)ゲージ対称性
しかし、この方程式では電子エネルギーは無限大になってしまい、この世のあらゆる物質は存在しないことになってしまう。

太平洋戦争が始まり、OppenheimerはLos Alamosの軍事研究所長に任命され核開発に従事させられ、研究を続けることが出来なかった。

1948年 朝永振一郎が無限大を解決する。

1954年 ヤンが5つ目の対称性を取り入れ、☆2②③を説明する方程式を発見する。
5)非可換ゲージ対称性
しかし、この方程式では、強弱の核力を伝える粒子の質量がゼロになってしまい、質量は重いと観察される現実と反してしまう。質量ゼロなのは光子だけである。そして、素粒子も質量ゼロということになり、あらゆるものが光の速さで飛び出してしまうことになる。

1961年 南部陽一郎が、☆2②について自発的対称性の破れを説く。
対称性という美しさを求めた結果の数式では質量はゼロだが、現実では美しさは崩れるものであり、質量はゼロではなくなる。

1967年 Weinburgが、都合の良い粒子Higgs粒子という仮定を取り入れ、美しさの破れを説明する。
Higgs素粒子が無い状態では美しい数式のように質量はゼロであるが、Higgs粒子が増えて空間を埋めると粒子が動きにくくなり、そこに重さが生まれる。これが美しさの破れである。

2010年 CERNがこのHiggs素粒子を観測するための研究を開始。
2012年 CERNにおいてHiggs素粒子が観測される。

これで、標準理論は数式によって説明された。

これからの課題は、これに重力も加味して解くことである。
今までの素粒子の研究では、素粒子がとても軽いことから重力が神されていなかったが、より正確さを求めるなら、重力も加味する必要がある。

あ~面白かった。

2017年5月24日水曜日

宇宙は、わたしを抜きにして、宇宙と呼ぶことはできない。

 


これは、私がベジタリアンになり始めた頃、

私が何度も体験していた、何とも比べようもない強烈な多幸感を呼び起こす思考でした。

「宇宙は、わたしを抜きにして、宇宙と呼ぶことはできない」

という、科学的で、ただただ客観的な事実に思考を巡らせているだけで、

この圧倒的で、どこかに飛んで行きそうな位の多幸感に包まれるなんて、

自分は頭がおかしくなったのではないかと思うこともありましたが、

後でそれは当然のことだと分かりました。


自分の身体は、代謝という自然の摂理に従い、宇宙と繋がっています。

自分の血や皮膚や筋肉を構成している鉄分や窒素や炭素は、

以前は宇宙のどこかに浮遊していたものが、

太陽系の出現とともに地球の構成要素の一部となり、


気体となり、水となり、土となり、食べ物となり、

そして今、私の身体を構成しています。


私が毎分吐いている息も、

毎日剥がれ落ちている皮膚細胞も、

時間と共に、宇宙の構成要素と還元していきます。



というよりも、この太陽系も、その中の地球も、

宇宙の構成要素に他ならず、

ゆえに、私という存在も、宇宙の構成要素に他なりません。


死んでから灰となって還元されるのを待たなくても、

今ここに居る自分が、すでに宇宙の構成要素なのです。



「宇宙 ―(マイナス) 自分」だったら、

それは全宇宙と呼ぶことは出来ません。


ゆえに宇宙は、この自分を抜きにして、

「完全な宇宙」とは呼べないのです。


私の身体、生命力、考え、感情、記憶、、どこを取っても、

それらは、宇宙在り方そのものです。


いまここにいる自分の全てが宇宙の表現に他ならないのだから、

「宇宙と繋がってる」

などではなく、


「わたしが宇宙」


なのです。



そんな当たり前ののことを、殆どの人間は忘れてしまっています。

なぜでしょうか。

なぜ私はベジタリアンになることによって、

意識して、生きているものへの苦痛や負担を軽減しようとすることによって、

この多幸感をえることになったのでしょうか。


自分と宇宙の間の代謝は放っておいても勝手に自然がしてくれますが、

自分が何を食べるかには、自分の自由意思・選択を使っています。



食べるという、人間が毎日している、命に関わる基本的な行為には、



自分自身の、個人個人の、その時その場所での、

「意識的な選択」

が大きく関わっています。

便利だから、美味しいから、みんなと一緒が安心だから、仲間外れは怖いから、

という利己的で受け身的な態度を、

手放して、自由になり、

自分の頭で、論理的に、倫理的に考えて、

最も理に適い、最も調和し、最も自己矛盾の無い選択をしたとき、

宇宙との調和を取り戻し、

今まで、人間の利己的で偏狭な価値観によって隠されていた、

宇宙の在り方と自分の在り方の一致が、

より明確に見えるようになるのは、尤もなことです。




後で知ることになったのですが、

この多幸感のことを、オーシャニック・フィーリング(大洋感覚)と呼ぶそうです。

自分と宇宙との境目がない、自分は宇宙と同一であり、

自分という存在が宇宙として無限に広がる、ただただ純粋に幸せな感覚です。


だいぶ後に、何年も経ってから、

ヴェーダーンタを勉強することによって教えてもらうのですが、

経験的な幸福とは、自分をこの世界から切り離している認識が、

薄れている状況を指します。

例えば、好きな人と離れていない時、好きな人から好きと言われとき、

好きな音楽を聞いたり、山や海や星空や朝焼けを眺めたり、

といった、自分と対立していない状況にある時に、

人は幸せに感じる経験をします。


自分を宇宙と同一として認識して得られていた、あの多幸感は、

このことによるのだな、と納得できました。


自分という存在を、身長何センチ、体重何キロ、にしている、

物理的な枠組みは、秒単位で変化している、

実に儚いコンセプトです。


その儚いコンセプトにしがみつき、自己認識をしていた自分から、

宇宙全体での自己認識へのシフトを手伝ってくれたのは、

自分がこの世界とどう関わっていくかの選択にありました。

搾取するばかりの利己的な消費者から、

他への痛みを少しでも減らし、貢献を増やそうとする、

より調和のある生き方への選択です。


Medhaみちかの関連サイト